• 九龍浦日本人家屋通り 09/11/13, Hit:7159 九龍浦に行けば、100余年前に日本人が住んでいた日本の家屋がそのまま残っている。日本統治時代に日本人の居留地だった九龍浦邑内チャンアン洞の路地は、あたかも映画のワンシーンのように、今でも日本の雰囲気を漂わせている。実際に数年前、某放送局の人気ドラマ「黎明の瞳」で日本の通りを撮影する際、ここの路地が背景に使われた。この路地に足を踏み入れると、時間が逆戻りしたように1900年代序盤、韓国で暮らしていた...
  • 迎日冷水里新羅碑 09/11/13, Hit:2584 迎日冷水里新羅碑 新羅の智証王4年(503)に建てられたと推定される現存最古の新羅碑として、新羅初期の政治、経済、社会、文化の諸問題を扱っているので王命を扱った初期の律令体制が分かるし、国宝第242号の蔚珍鳳坪新羅碑とともに新羅の歴史の研究に貴重な資料と評価されている。 でこぼこの四角形の自然石の前、浦、上の三面に字が刻まれており、一行ごとに字数と大きさが一定しないが、だいたい前面は12行152字...
  • 立岩書院 09/11/13, Hit:4295 書院は高宗5年(1868年)に大院君の書院撤廃令によって建て壊されたが、1913年に復元され、廟宇は純宗元年(1907年)に焼失したものが1972年に復元された。立岩書院は木造瓦屋でㄱのような形をしており、その一帯は自然景観がすばらしく、書院周辺には万活堂、日臍堂がある。 日臍堂正面3間、側面2間の八作瓦屋根でできた日臍堂は、朝鮮宣祖33年(1600年:丙子年)に建築され、旅軒・張顕光、守庵・鄭...
  • 迎日長鬐邑城 09/11/13, Hit:4349 浦項市南区長鬐面邑内里にある「長鬐邑城」は、この地方の大きい山である東岳山から東に連なっている尾根に位置しており、その丘の下には長鬐川が東海に流れ込んで県内の野原を形成している。日本帝国の残酷さはこの邑城にも及んで城中の全ての官庁などの施設が破壊され、だだ郷校のみがこの地域の住民により復元されており、雑草に覆われている城壁はそのほとんどが崩れている。
  • 法廣寺 09/11/13, Hit:4507 法広寺は飛鶴山入口の神光面上邑里にあり、新羅26代目の王である真平王のとき、国師・元暁大師と義湘法師に命じて創建された寺で、名前は真平王の祖父である23代目の王・法興王の法名を取って付けられた。法広寺の扁額は真平王の親筆で揮毫された。法広寺は約5千坪規模の境内に大雄殿、金堂2階香炉殿などのある525間の大きな建物であったと推定されるが、朝鮮哲宗末年に村人の放火で全焼して廃寺となり、現在の法広寺は1...
  • 吾魚寺 09/11/13, Hit:4489 浦項市烏川邑恒沙里雲悌山に位置いている「吾魚寺」「吾魚池」とともに絶妙な自然景観と調和した秘境の一つである。新羅第26代「真平王(579~632)」の時に創建されたお寺で、「元暁大師」と「恵空禅師」がここで修道の折、法力で小川の魚を生還させる試合をしたが、一匹は死んでもう一匹は生きて力強く泳いだ。それを見て「元暁大師」と「恵空禅師」は互いにその生きた魚は自分が生還させたと言い張った。それで私を意味...
  • 宝鏡寺 09/11/13, Hit:5334 宝鏡寺は壮大で美しいチュンナム山を背に、左右に伸びる内延山連峰に囲まれており、12の滝で名の通った奥深く静かな谷から流れる澄んだ小川をかき抱くようにして、のどかな地形に位置している。新羅真平王25年(602)に秦から留学して帰ってきた大徳智明法師が、王に「東海岸の名山で明堂を探して八面宝鏡を埋め、その上に仏堂を建てれば倭寇の侵略が防げ、将来三国を統一できる」と進言したところ、王が喜んで浦項を過ぎ...