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立岩書院
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  • Ibam Seowon
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書院は高宗5年(1868年)に大院君の書院撤廃令によって建て壊されたが、1913年に復元され、廟宇は純宗元年(1907年)に焼失したものが1972年に復元された。

立岩書院は木造瓦屋でㄱのような形をしており、その一帯は自然景観がすばらしく、書院周辺には万活堂、日臍堂がある。

日臍堂

正面3間、側面2間の八作瓦屋根でできた日臍堂は、朝鮮宣祖33年(1600年:丙子年)に建築され、旅軒・張顕光、守庵・鄭四震、倫庵・孫宇男らが学問を切磋琢磨していた場所で、1629年には蘆溪・朴仁老が訪れて立岩歌29首と立岩別曲を残したりもした。

1907年の山南義陣事件で日本軍が放火して焼失したが、1914年に復元された。

日臍堂は平面構成において補間2間のうち後列3間は絶壁で支え、高い自然石の台を築いてその上に据え、御間は板敷きで両側にオンドル部屋をそれぞれ1間ずつ配置し、床の後壁に出入口を作り、楼床をあしらって鶏子欄干を巡らした。

万活堂

正面3間、側面1間の破風瓦屋根構造の万活堂は、渓流が曲がりくねって流れる丘の上に西向きに配置されており、朝鮮中期の性理学者である旅軒・張顕光が壬辰倭乱(文禄の役)のときに避難し、隠れ家として使っていた建物。石を3段積んだ土台の上に自然石の礎石を置き、円柱を立てた。三樑架と軒先の垂木が一段になっている軒、丸梁で構成されている。

正面3間のうち、御間は前面に両開きの板戸をつけ、板敷きの部屋にして両側の脇戸はそれぞれオンドル部屋を作り、床には井の字型に組んだ板を敷き、部屋の後壁には立岩書院広間の御間板戸をつけて小部屋を作った。

 
立岩書院
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